今回の旅で一番印象に残ったところかもしれない。
大船渡線鉄道区間。どうやら各駅にポケモンが割り振られていて懐かしきポケモンスタンプラリーみたいになってるらしい。駅で買った謎地ビール。
結構車内が混んでて,案外この区間の人の往来ってあるんだなと。
陸中門崎駅から猊鼻渓駅までは北上川の支流である砂鉄川に沿って北上。どうやら政治的なアレで大船渡線はこんなに蛇行しているらしく,陸中門崎千厩間は走った方が若干早いらしい。旅行で乗りに来てる分には,蛇行してる方がアトラクション感があって楽しいわけだけど。
ここから大船渡線も気仙沼線も津波で鉄路が破壊されてしまったため,BRTを使ったJRバスの代行輸送になっている。鉄道扱いだからこそ18きっぷで乗れるわけですな。
2018年2月現在,Googleマップで気仙沼を見ると線路が残っているところには鉄道マークが描かれていて,BRTの停留所(駅?)の位置は対応する地点にちゃんとマークされているけど,訪問時は震災前に駅があった地点にマークがされていて,この地区がいかに津波で破壊されたかというのを物語っていた。帰るときに南気仙沼停留所がどこかわからなくてめちゃくちゃ焦ったので,地図としてはどうかと思うが。
鉄道降りて駅見渡したらホームの向こうにあるはずの線路が引っ剥がされて道路に舗装されてるんですよ。これは本当に…なんというか心をえぐられる。
一応線路?内は一般車や歩行者が立ち入れないようになっている。
気仙沼駅自体は山間から抜けたところの高台にあったのだけど,市街地はずっと低地にあったらしい。市街地に向かって坂を少し降りるとすぐにこんな表示が目に付く。まだ高台のはずなのにこんなに津波が来たのかと。
市街はなんというか,どこもかしこも空地だらけ。東京に住んでるともう6年も前の震災だなんて思っていたけど,まだ6年しか経っていないんだと。見ればすぐにわかる。残っている建物は津波に耐えるような鉄筋コンクリート造の古い建物か,既に底上げされた新築の建物ばかり。まだ経済復興がどうとかっていうレベルですらなくて,元の生活なんて程遠いなと愕然とさせられた。
高台の表示ばかりが新しくて辛い。気仙沼はそれこそリアス式海岸の入り江の最奥部に位置しているわけだから,津波の被害は甚大だったのだと思わされる。
港沿いを歩いて魚市場を目指した。途中には魚が食べられる観光施設や復興屋台村(WUGで社長が呑んでたところという記憶がある)がぽつぽつとある。港が見える席でハーモニカ煮定食を食べた。美味。
空と漁船。こういう地域的な産業から復興は少しずつ進んでいくのだろう。
「気仙沼 津波」で検索すると出てくる多くの写真の撮影地にもなっている魚市場。屋上に上がってみると,なるほど津波が来なさそうな高さだ。
これ↓と見比べてみると,何とも言葉に詰まる。
どこもかしこも盛り土だらけの町を走り抜けて,南気仙沼へ(けっこう迷った…)。
気仙沼市街地を抜けるとすぐに車内は僕と運転手さんの二人だけになり,エンジン音だけが響く車内で僕は夕暮れの気仙沼湾を夢中になって写真に収めていた。
BRTの路線設定は,基本的に元あった線路の地盤が残っているところを専用道として使い,ところどころ国道と行き来しながら,集落や震災後に出来た施設などに寄り道する,みたいなルートになっていた。
かなりの距離をバス一台ドライバーさん一人で2時間かけて走るので,中間くらいの駅でドライバーさんが急に運転席を出たかと思いきや「お客さんトイレ大丈夫ですか?」なんて言いながらトイレに行くなんてこともあった。この路線の乗務は本当に大変だと思う。
一応方向幕も。柳津駅からは内陸に入り津波の被害も少ないので鉄路があるのだけど,接続も悪いのでBRTでそのまま前谷地駅まで行けるようになっている。
あと,BRTは全て公式アプリで位置情報が取得できるようになっている。と言っても乗り遅れたら二時間くらいバス無いんだけど。
仙台までの帰りの電車でカップ酒を飲んだ。このロゴなんか見覚えがあると思ったら,この前行った会津若松の酒蔵だった。町中に酒蔵のロゴマークが貼ってあるからどこかで見たのだろう。
仙台駅ではずんだシェイクを飲んだ。これで僕も女性声優だ。
駅近の適当な中華料理屋(いい感じに仕事帰りのサラリーマンとかで混んでて良い)に入って仙台名物マーボー焼きそばを食べた。
昨日と同じカプセルホテルで就寝。一回もネカフェ使わない旅行神。