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『宇宙よりも遠い場所』12話について

TVアニメ『宇宙よりも遠い場所』STAGE12『宇宙よりも遠い場所』をリアルタイムで視聴して,久しぶりに深夜アニメで涙が出た。

本当に本当に久しぶりだったので何故だろうと考えてみたけれど,特に今までの話の積み重ねが利いてるわけでもなく,多分このエピソード単体の良さで泣かされたのだと思う。何故だろう。

ネタバレなので未見の場合は注意。

各種配信もやってる↓ので見逃した方は追いつく価値がある作品だと思います。

yorimoi.com

さて,今回お当番のキャラクターは,一連のストーリーのきっかけを作った小淵沢報瀬*1

このキャラクターは三年前に南極観測に出かけ遭難,死亡したものとして失踪宣告を受けた母親が居て,その死を受け容れられず三年経った今でも事あるごとに母親にあれこれメールするといった日々を送っている。それだけではなく,実際に南極へ行って自分の目で母親の生死を確かめようと,女子高生の身で百万円ものお金を貯めてきた人一倍意志の強いキャラクター。見ればわかる通り目の前のことに常に一直線で,色々なところが抜けていたりと,個人的にまあまあ共感できるタイプ。

そんな報瀬がいよいよ母親の失踪した観測拠点に向かう,というところで今回の話は始まる。

そもそも僕が感動するアニメとは,時間/空間軸に障壁が存在する構造をもったアニメだと言える。前者は*2異なる時間の点・速さによって隔てられたキャラクターが道理を乗り越えて通じ合うやつ。後者は具体例がぱっと思いつきませんが,死・別離などの物理的距離,民族・文化などの心理的距離によって隔てられたキャラクターがやっぱり道理を乗り越えて通じ合うやつ。

今回のエピソードで報瀬が乗り越えた障壁は,時間軸・空間軸両方に横たわるものだと言える。

僕達の普段の感覚からすれば,母親が家を出るというのは日々の買い物だとか仕事だとか,どちらにしろ帰ってくる前提があってのことだ。三年前の報瀬ももちろん(送り出す先が南極とはいえ)帰ってくるものだと思って母親を送り出したのだと想像できる。ところがある日突然,母親は南極で遭難・生存は絶望的だと聞かされる。死体が帰ってくることもなく。

もちろん事実として母親が死んだということはわかっているのだけど,突然すぎて,そして場所が遠すぎて,現実のこととして受け容れられないという心境は容易に想像がつく。今まで物理的に隔てられていたからこそ未確定な母親の死に近づいていくことが出来たのに,いざその事実がはっきりと認識できる近さまで来てしまったら,母親にメールを送りながらお金を貯めてきた三年という時間は,縮めてきた15000kmという距離は,どうなってしまうのだろうか。

実際作中でも,いざ母親が失踪した地点に行くというところで躊躇し,またその場所についてもどこか他人事のようなようすを見せていた報瀬。遺品なんて見つかりっこないから探さなくていい,というのは,本当に母親がここにいて,ここで死んだという事実を現実のものにしてしまいたくないという心境の表れのようにも思える。

そんな障壁は,発見したPC(パスワードが報瀬の誕生日というのがもう泣ける)のメールソフトを起動した瞬間にあっという間に乗り越えられる。読まれることのなかった三年分のメールが一気に受信されるのを見て今までになく激しく嗚咽する報瀬の姿からは,はっきりと現実になった母親の死に,届かなかった想いが,一度に自分のものになるということがどういうことなのかひしひしと伝わってくる。

 

*1:ところでしらせって白瀬矗に由来すると思うんですけど名前の字はこっちなんですね

*2:君の名は。』を思い浮かべればわかるかと思います