タト部記憶

チラシの裏

「空の青さを知る人よ」感想メモ

ちょっとまだまとまった文章になりそうにないので(久しぶりにアニメで泣いた)、箇条書きにしておく

 

 

  • 全体

岡田麿里作品を数作見た方ならわかると思うが、明確な過去の作風への回帰だ、と感じた。特に「凪あす」見たらわかるだろうけど、岡田麿里作品は「各々の置かれた場所(環境)の差異や変化」と「各々の時間の流れ方の差異や変化」に非常に高い感度を持って人間関係を描くフシがあって、そこが魅力だと僕は思っている。で,近作ではあまりコテコテのそういう作品は書かない傾向にあって,もうそういう鋭い話は書かないのかなあと思った矢先にこれだったので,本当にやられてしまった。

 

  • ストーリー

岡田麿里秩父……

冒頭の「盆地は山に囲まれた牢獄みたいだ」みたいな独白でもう泣く。これ岡田麿里じゃん。田舎特有の閉鎖された社会のごく狭い人間関係の陰湿さとか粘つく気持ち悪さみたいなのは岡田麿里の作家性の一つの特徴だよなと思う。

 

井の中の蛙大海を知らず,されど空の青さを知る」……

"しんの"と共にありたい気持ちやら年端の行かない妹と二人ぼっちの境遇やらひっくるめて,「郷里に残る」即ち手の届く範囲のきれいな世界を見続けることを選択したアカネの強さ。これはまんま「凪あす」の比良平ちさきを見ていたときの感情なんだよな

 

"しんの"……

「高校時代の楽しかった思い出をそのままに,郷里を出ていかない」ことを選ぼうとした(=結局選ばれなかった)過去の慎之介が顕現したのが"しんの"だ。思い出の写真とギターを閉じ込めたケースを,秩父公演が決まって再び開けた冒頭の慎之介を見ればわかるだろう。人生の上での選択には必ず「選ばれなかった自分」がいて,そっちを選んでいたらどうだったろうという思い残しが存在する。劇中で何度も「後悔」のような単語が出てくるが,後悔は思い残しが無いと出来ない。時間ごと郷里に残してきた「選ばれなかった」自分も,夢破れた現在の自分も認めることができず,日々をただ後悔と不感の中に生きてきた慎之介が,遠ざけてきた「選ばれなかった」自分を受け容れることで現在の自分をも認めて前に進めるようになる。これが本作のメインメッセージに近いものだと思う。

 

「場所」の違い……

岡田麿里作品で注目すべきギミックとして,「場所」がある。岡田麿里は登場人物の置かれた場所の閉鎖性に人間関係の様態を仮託しがちだ。それは「あの花」では秩父と飯能であり,「凪あす」では鴛大師と汐鹿生であり,本作では郷里と東京だ。

"しんの"がお堂から出られないのは,自分の好きな音楽が詰まった思い出から出ていかなくてもいいのではないかと思っているからだ。一方で,結局出ていった慎之介は外の世界の厳しさを知って,出ていかない方が良かったのではないか,今からでも郷里に戻ったほうがいいのではないか,と思っている。

だからこそ,残してきた思い出に向き会おうと決意した慎之介が"しんの"と邂逅するシーンは本作の山場だと思う。思い出に縋ろうと思っている慎之介がお堂に転がり込み,一方で"しんの"は制限を乗り越えて外に出る。この場所の変化はそれぞれの心境の変化を表しているのだと思う。

「出て行かない」ことを選んだあかねが劇中一回もお堂に入らないのは,自分の選択に思い残しが無かったと信じようとしているあかねの在り方を表していて,これも上手い。

 

「時間の流れ方」の違い……

岡田麿里作品で僕がいつも上手いと思うのは,人物ごとに時間の流れ方に物理的な違いがあって,それを上手く人間ドラマに埋め込んでいることだ。

「あの花」では死んだ当時の姿で現れた幽霊と残された親友たちとの時間の流れ方の違いを疎遠になった旧友の関係に埋め込むことで,過去と向き合い関係を整理する原動力としていた。「凪あす」では冬眠をする海の民と人間との時間の流れ方の違いを恋愛関係に埋め込むことで,非常にトリッキーなドラマを生み出していた。「さよ朝」では悠久の時を生きる異種族と人間との時間の流れ方の違いを母子関係に埋め込むことで,母親の強さや親子の離別を逆の視点から描き出していた。

……というように枚挙に暇がない。本作もまた,「時間の流れ方の違い」によりいつもの複雑な恋愛関係を立体的にすることに成功している。慎之介は「出ていかない」自分を思い出の中に閉じ込めてしまうことで,"しんの"を作り出した。だから"しんの"は思い出の姿のまま時が止まって顕現している。

一方で,実際に「出ていかない」ことを選んだあかねはその選択もひっくるめて今の自分を認めているがために*1現在の姿で"しんの"と相対する。この対比を見るに,意図的に時間の流れ方の違いをストーリーに活かしているのは明白だろう。

人生の選択の岐路に立ち,外の世界を知らずただ出ていこうとしている子供であるという点で共通している"しんの"とあおいが同い年であることも頷ける。

ちょっと話は変わるが,今夏公開された映画「青ブタ」では,「選ばれなかった自分」への思い残しが時を止めることでタイムリープを可能にしていた。こう書いてしまえば,本作でも近いことが起こっているとわかるだろう。

 

昆布とツナマヨ……

何度も慎之介にツナマヨにしろと言われながらも頑なに昆布を変えなかったアカネは,妹を守って郷里に残る選択が出来た,なおかつしっかりと生きてこられたことと連続していて,その頑なさを破ってツナマヨにしてみようかな,と過去の選ばれなかった自分(=慎之介と一緒になりたかった自分)をに歩み寄ったアカネを見て"しんの"が消えるシーンとか,過去に残してきた歪みが解消されて気持ち良~~ってなってしまった

 

「クソ青い」……

とにかく家庭から,郷里から,現在の境遇から離れようと思っていたがゆえに郷里を半ば嫌悪してきたあおいが,あかねのノートや涙を見てあかねが守ってきた「空の青さ」を知り,ようやく現在を受け容れて前に進もうと決意して独りごつ最後のセリフ。

あかねと慎之介の大人サイドが過去を受け入れる話だったのに対して,あおいは一人だけ現在と戦っていた。自分が憧れたままの"しんの"と輝きを失ってしまった現在の慎之介を見て自分の感情を整理できないあおいは,作中ころころと行動を変えながらその都度現在の自分の感情と境遇との板挟みに遭う。その都度あちこちに悪態つきながら自分の感情を優先してしまう。

独りでの帰り道,やりきれない感情を吐き出しながらもあかねの守ってきたものを尊重しよう*2と決めたがゆえの最後の悪態が「クソ青い」なんだと思う。大人サイドの感情の整理とやってることは同じなんだけど,何も知らない子供であるがゆえの性質の違いがあって,ああこのキャラがあってこそ物語が成立するんだなと思える。

 

相生あおい……あらゆるアニメで見覚えある感じだからあれだが、ストーリー上の立ち位置は「凪あす」の潮留美海だったので、それが冒頭でわかってあーーこのアニメ凪あすのセルフオマージュも入ってる、とわかって以降一挙一動にアーーーーーーってなってしまった。吉岡里帆さん声良かったですね

相生あかね……見た目が「キズナイーバー」の牧穂乃果、「ダリフラ」のココロであり、ストーリー上の立ち位置はまんま「凪あす」の比良平ちさきだったので、何故ここから佐藤利奈早見沙織茅野愛衣の声がしないんだろうと違和感がすごかった、が、上手かった。主役の一人といって良い。

*1:31歳にしては若すぎる風貌な気もするが

*2:結局大学進学することにしたところも可愛い