タト部記憶

チラシの裏

アニメ、全部見るか?過去作から見るか?

2016年1月期から挑戦してきたアニメ全視聴も今年度までだな、と思う。

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アニメに割ける可処分時間が減ったから、という理由でアニメ大量視聴をやめてしまう人が多いが、自分も来年度から働き始めたらそうなってしまうのかもしれない。そんなことを思っている最中、「現行アニメを見るよりも過去の(評価が決まった)名作を見る」派と「最近のアニメもたくさん見る」派の意見の対立を見かけた。

僕の意見を先に示しておくと、「どちらも違ったものが得られる良さがあるので、どちらもやるのが理想」という月並みなものになる。あくまで理想論でしかないのだけど、時間がある程度あってどちらの選択肢も選べるとして、一方に盲目的になってしまうのは勿体ない、と思うので、判断材料をまとめておきたい。

恥ずかしながら僕が積極的に過去作回収していたのは2,3年ほど前までなのだが、過去の名作を大回収する経験と最近のアニメを大視聴する経験とのどちらも有する人間として、それぞれどんな論点があるのか述べる形式にしようと思う。

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「過去の名作を見る」体験について

  • 玉石混交の現行アニメを見るよりも、ある程度面白いことが約束されている分満足度の期待値が高い:1クール5時間弱という決して短くない時間を投じるにあたって面白い可能性が高いものを選ぶのはいたって合理的だと思う。
  • ジャンルやクリエイターの変遷・空気を掴んで俯瞰することができる:最近のロボットアニメしか見てない人のロボットアニメ評より、黎明期からの名作ロボットアニメを押さえた人のロボットアニメ評の方が説得力がある。どのジャンルにしてもクリエイターにしても、長短問わず歴史をもっているのだから、バックグラウンドを知ったうえでの言葉の方が説得力がある、ということだと思う。
  • 他人の評価を理由に視聴した作品は、「自分にとっても面白いだろう」という先入観を介してしまう:人それぞれ人生で摂取してきた物語は異なるのだから、当然アニメの感じ方も人によって異なる。そこで、「みんな褒めるけど自分には合わないアニメ」というのは必ず存在する。何も知らない状態から見た作品が自分に合わなかった時と、ハードルの高い状態から見た作品が自分に合わなかった時とでは、後者の方ががっかり感が強い。
  • 面白い話型がなんとなくわかってくる:名作のよく出来た話型というのはある程度類型があると感じている。名作をいくつか見ていると、こういう話なら面白いだろうという勘が働いてくる。
  • 様々な話型に触れることができない、あるいは触れる意欲を失う:反面、冒険的な新しい話型に対しては心理的な障壁を作ってしまうように感じている。これが良いか悪いかはわからないが。
  • 自分独自の評価軸が持ちづらくなる:他人の観点や評価軸を日常的に見ていると、自分の眼も他人の眼に平均化されていくような感覚に陥る。自分の言葉で語れないような、あるいは他人の言葉で語っているような感じになる気がする。(から、僕は過去作を見るときには他人の感想を見ないようにしている。)

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「アニメ全部見る」体験について

  • 面白くないアニメを引きやすい:1クールに放送されているアニメは、だいたいの場合面白いものはほんの一握りであとは微妙以下だ。何時間も投じて一握りしか面白いものに巡り合えないといのは、時間効率だけで言えば明らかに悪い。
  • あまり話題にならない個人的な当たりを見つけられる:一方で、話題にならなかったけど自分は好き、実は隠れた名作、みたいな作品もクールに数本現れる。第一話からしっかり面白い作品はそれこそ稀なので、選り好みせずに最後まで見るからこそ見つかるものだと言えるだろう。
  • 流行り廃りの空気感を捉えやすい:ジャンルや話型には明確な流行り廃りが存在して、それを統計的に(?)把握するなら実際に全部見てみる以外の方法はないと思う。
  • 「今のアニメ」全体を捉えることができる:全体を俯瞰することで個々の作品の差異が解像度良く見えてくるというのはあって、名作視聴が経時的変化の把握に強いとするならば、全視聴は同時的な現状の把握に強いのだと思う。
  • 食わず嫌い(要らん先入観)を無くせる:BLモノだから、キッズアニメだから、という先入観から第一話を見る前にアニメを切ってしまうのはもったいない。というのも僕がアニメ視聴生活の中で学んだことだ。極力フラットな、ニュートラルな目線で作品を捉え、自分の見地・コンテクストから作品を評するという体験は、他人のオススメをなぞるばかりの視聴では得難いものだ。