タト部記憶

チラシの裏

『アリスとテレスのまぼろし工場』感想(考察)

230831全国一斉特別試写会@最寄り映画館。230904プレミア先行上映会@新宿ピカデリー

アニメメインで活躍する現役の脚本家としてはトップクラスの作家性をもち,特に時間のズレや閉鎖的な世界といったギミック含みの設定を湿度・粘度が激高な感情ドラマに埋め込むという手法で唯一無二のオリジナル作品を世に送り出してきた岡田麿里さんの最新作。

あらすじについては散々ネタバレすれすれの予告が打たれてきたので今更説明不要かとも思う。

当然本記事もネタバレなので注意。

 

 

 

 

 

 

 

 

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岡田麿里の過去作で見た要素を全て集めて煮詰めて煮詰めて煮詰めた映画だった。全てが過去作で因数分解可能で,終盤なんか岡田麿里節でガッチリコーティングされていて,ただでさえ岡田麿里の脚本が好きな僕の脳にものすごい快楽を発生させていた。

つらつら書き留めていたことをざっくりとまとめた。刹那的な感情に任せたドラマと幻想的な世界観とでコーティングされて若干内容が掴みにくいという印象だったので、議論のたたき台にしたい。

 

 

1. 何が描きたかった(描かれていた)話なのか

「痛い今から逃げずに向き合うこと」
  • 「痛みを伴う現在から逃げずに向き合うこと、制限された中での小さくても確かな変化を前向きに楽しむこと」だったなと思っている。

    • 神機狼と裂け目のシステムがまさにこのテーマに対応していたと思う。
    • 世界に生じた裂け目を修復する過程で,心変わりしてしまった町民たちを飲み込む神機狼。単に「世界に歪みを生じさせる変化してしまった存在」を消すという役割で読んでしまうともったいないと思う。劇中でも直接言及があった通り,「変化一般というよりも世界から逃げたいと心変わりしてしまった人を消す存在」とするとなんとなく言いたいことが見えてくる。
    • もっと詳細に言えば,劇的な変化が存在しない(行く先にある程度予想がついてしまった)現在を生きるのに伴う痛みに堪えきれず生じた逃げたいという気持ちか。作中で明示的に神機狼に飲まれたキャラがその根拠になると思う。
      • 園部は(正宗への,同時に睦実への)秘めた思いを周囲に見せてしまったがために,遂げられない想いを抱えてその後ずっと続く変わらない日常を生きることに心が折れて,逃げたいと思ったから食われた。
      • 昭宗はどうすることもできない孫娘や周囲への不義理を秘匿しなければならない罪悪感から来る痛みを抱えて生きることに心が折れて逃げたいと思ったから食われた。
      • センバも将来の夢が一生叶わないという痛みを抱えて生きることに心が折れて逃げたいと思ったから食われた。みたいな。
    • では逆に,神機狼に消されず「生き残った」キャラクターはどんな共通点があっただろうか。
      • 中盤,正宗の親友である新田に告白し晴れて両想いとなる少女・原が一例だ。永遠に時間が止まった制限された世界であることを認識した上で,失恋もまた永遠つきまとい続けるというリスクを恐れずに告白する度胸。そして恋する痛み(「スイートペイン」)をも前向きに楽しむ姿勢。まさに「痛みを伴う現在から逃げずに向き合い,制限された中での変化を楽しむこと」を体現したキャラだったと思う。
      • 岡田麿里作品で感情を駆動力に動く子供サイドと対立させられがちな,理性と社会規範の番人としての大人サイドから例を挙げてみる。今作の大人サイド代表である時宗は一味違う。この世界でも変化することができたんだ、ということに終盤になって気づき、佐上工場長と同じように閉鎖世界を保存して楽しむわサイドに回るという子供の駄々みたいな心変わりを見せる。これもまた一見して「逃げ」のようであって,制限された世界の中で後ろ暗い感情であることを認識しながらも前向きな変化を起こそうとする行為だったのだと思う。

    • こうやって共通点を洗っていくと,子供サイドも大人サイドも,変化しない世界の中で痛みを認識しながらも自らの活路を探った人物だといえる。「永遠に変化しないかもしれない閉塞感漂う日常の中で,痛みを伴いながらも,その中でも少しずつ変化していくことを模索せよ」というメッセージが浮かび上がってくる。
    • この辺は秩父三部作、というか『空青』が書こうとしていたことに一番近い。井の中の蛙大海を知らずされど空の青さを知る。岡田麿里の根本にあるものだとも思う。しんの(慎之介)とあおいとあかねの関係が、ほぼそのまま正宗とイツミとムツミの関係に重なるのは非常に示唆的だ。あちらは過去に残した後悔をも呑んで今を生きる、というような話だったが,こちらも過去に縛られた世界(みんなに必要とされた,町も含めて一番幸せだった時代で工場が時間を止めた)で痛みを呑んで今を生きるという構造は同じだ。
    • 「アリスとテレス」という本編中でいまいち意義付けが行われないタイトルも,こうなってくるとなんとなく意味がわかってくる気がする。劇中の「希望とは目覚めている者が見る夢である」というアリストテレスの言葉の引用くらいしか該当する要素がないわけだが…終盤のラジオ番組へのツッコミなんかでも指摘されていた通り、痛みとともに(痛みから逃げずに)前を見て生きることがやっぱり大テーマなんだと思う。

「誰かと一緒に痛がること」
  • 同時に「現在を生きることにともなう痛み(居たみ)を他者と共有することこそが制限された世界を生きる上で重要な要素である」というのも重要なテーマとして抽出できるように思う。

    • 同じ感覚入力がループされる切り離された冬の世界では,生の実感が退屈によって麻痺して曖昧になる。だからこそ自傷を経て退屈を紛らわそうとする、という序盤の異様に生々しいロジックがまさにこれを主張していたように思う。

    • クライマックスで機関車から飛び降りてボロボロになる睦実と正宗がそのまま痛みに言及していたかと思う。他者と一緒に痛みを共有することで,自己の生を確認するだけでなく,他者を通して生を確認しあうことができる。

    • 一方で,居たみ(心の痛み)を一人訴えることしかできない五実は制限された世界に存在していたという実感を奪われることになる。だからラストシーンでは確かに自分はあの世界に存在していたのだ,と確認するために工場の地を踏んでいるのではないか。

    • まあ言ってしまえば自傷癖メンヘラのロジックなんだけど、同時に痛みを受け容れた上で他者(との精神的結合)を欲する,ということは紛れもなく生を裏付ける要素の一つであって、そう捉えた方がスッキリするのかも。

    • 経験者じゃないとわからなそうな冴えた洞察ができる岡田麿里秩父で過ごした時代にリスカ癖があった?と思ってしまう。

 

2. その他重要と思われる要素と解釈

エレクトラコンプレックス
  • そのものを描くことが中心ではなかったかと思うが,奇しくも先日公開された『君たちはどう生きるか』の「若き母親(父親)に異性としての恋愛感情を抱く」というエディプスコンプレックスの構造を取っていて奇妙な一致に驚いた。
  • 特にメイン3人が恋愛感情を知る瞬間が示唆的。
    • 正宗は五実を洗ってやる睦実の絵を自然に書いている自分に気づいた瞬間。
    • 睦実はゲーセンで告白されて雪がドサって落ちる瞬間。
    • 五実は正宗に連れられて外に出て、クレーン車?の前で何かに気づいたように表情が晴れるシーン。
  • で!このシーンの直前に睦実からもらった手編みのセーターが自然に脱げるカット。同性親たる睦実の母性愛・庇護を離れて、異性親への恋愛感情に気づく。その先が知りたくなる。変化を象徴する空の裂け目。これが異性親への近親姦的恋愛感情の芽生えを明確に示唆していたと思う。
  • その直後に西洋絵画みたいなクッソ美しい構図で空に手を伸ばした五実の表情が突然困惑、絶望に変わり空の裂け目が閉じる。現実と肉薄したあの瞬間,自分が想いを寄せる正宗と睦実とが夫婦であることを朧気ながら思い出したことで,異性親に対する失恋の予感を感じ取ったのではないかと思う。
  • この失恋が確定するのがキスシーンの目撃だ。あのキスシーンはさすがにどう見ても性行為のメタファーで、であるとすればあの目撃は夜中トイレに起きた子供が親の寝室で二人目こさえてるところを見てトラウマになる、あれなのだ。
  • 自分が希う異性親が、初めから同性親のものだった、異性として異性親を宿命的に手に入れることができないという絶望感。これで恋愛感情にまつわる未知の世界を知りたいという喜びが一気に冷める。そういう意味での裂け目の拡大と縮小だと考えるとかなりしっくり来る。
  • そう考えるといよいよ記念列車での会話が味わい深い。どんなに頑張っても正宗は五実のものにならない,その代わり恋愛によって得られる世界以外のあらゆる(今後睦実たちが見ることが叶わない)世界をこれから見ることができる。と諭すことで突き放す。母性愛と,正宗を巡る一人の女としての威嚇とが薄皮一枚隔てて一つの言葉に乗っかっている。本作で最もよくできたセリフだったと思う。これを聴くに至って五実は失恋を(よく意味はわかってなかったかもしれないが)とにかく呑むことになる。
  • ラストシーンの廃工場の窓におそらく現実の正宗が描いたのであろう,睦実と正宗のイラストも示唆的。正宗が恋心を自覚するシーンの睦実と五実のイラストと構図がほぼ一致していたように思う。父親への異性愛に加えて,母親からの母性愛もまた父と母との間の愛には優先し得ないのだ…とでも言いたげな…
  • 正宗の靴の中には佐上睦実
  • よく考えたらさよ朝でもエリアルがマキア(育ての異性親)に欲情してたわ。
正宗くんのセクシュアリティ
  • 「女っぽいと言われて悪い気はしない」「胸を揉まれてちょっと嬉しそう」という描写は何のために入っていたのだろうか?
  • 小中学生に見受けられる性自認の曖昧な時期をあえて選ぶことで,世界がまるっきりガラッと変わるほどの恋に落ちる衝撃,を演出するための設定ではないかと。
  • 恋愛感情を実感として知らない,自分の性自認すら曖昧な状態の少年がストンと恋に落ちる。その落差の大きさを広げる働きを果たしていたように思う。
  • パラレルな存在として五実が居た堪れなくなるほどの野生児として飼育されていたのも,ほぼ喋れない(高次な精神機能が全くもって未成熟な)状態の少女がストンと恋に落ちるという落差の大きさを補強している。
鏡の使われ方
  • 記憶に残っているのは5つ?
    • 叔父が政宗の部屋にタバコ吸いに来て姿見を覗き込むシーン。
    • 深夜に政宗とムツミが現実の蜃気楼を見た後にムツミがイツミの真実を明かしながらも「本当の母親だったらあんな目に遭わせない」というシーン。
    • オートレストランの窓ガラスに睦実の顔が映るシーン
    • ウェディングドレスを着たイツミが現実に帰りたくないと主張するシーン。
    • 昭宗が友達だと思ってくれていたことに動揺する佐上工場長が鏡を覗き込むシーン。
  • 最後は置いといて,いずれもアンビバレントな感情から発話するシーンだったような気がする。まあそういうことなんだろう。
園部の恋はいわゆる恋愛感情だったのか?
  • 一人だけ年齢不相応に大人っぽいムツミへの焦りが描写されていたし,ムツミよりも先に行きたいがための恋愛であって本当に誰でもよかったような気持ちだったのかもしれない。とおもってる。
  • 理由の「助手席に乗せてもらったから」も,恋に落ちるタイミングは何気ない電撃のようなものなのだ,とはちょっと読めなくて,本当に何だってよかったんじゃな~い?と思っちゃう。
  • が,「私の恋,(秘めるものから)見せる物になっちゃった」はガチの恋愛感情を公開してしまったがための後悔っぽい。不可逆な重たい変化だったからこそ,それに苛まれ続けるこの先が嫌になって消えるので。

 

3. そんなに重要ではない気づきと雑感

この要素聞いたことあるなって思った作品
  • 自分が今まで摂取した物語で無理やり因数分解するならば,『凪のあすから』×『マヨイガ』×『Angel Beats!』×『タビと道づれ』か。
    • 時間にズレを生じさせる岡田麿里お得意ギミックとそれによって生じる潮留美海的な失恋が『凪のあすから
    • 周囲と切り離された町で大演説、野次、半狂乱、群像劇の何見せられてるんだこれといった感じの中盤パートが『マヨイガ
    • 「エミュレートされた世界に内的要因から変化しこの世に繋ぎ留められなくなった者が排除される」あたりの要素が『Angel Beats
    • 「ある時点で起きた崖崩れによって主要人物が死に世界がループ空間に切り離され,そこにループしてない外の世界から少女が迷い込む→再び少女を外に送り返す」あたりの要素が『タビと道づれ
  • タビと道づれ』とかいう作品のことを10年ぶりに思い出した。尾道を舞台にした美しい世界観や短い巻数ながらも密度の高いストーリーと,僕が人生で読んだ数少ない漫画のうち五本の指に入ってくるくらい好きな作品。
初めから終わりまで麿里
  • 原液そのものをドバっと入れて全編練り上げた感じ。オタク的には知名度が若干高い『ここさけ』『さよ朝』はやっぱり綺麗な岡田麿里だったんだなって。
  • 「(心が)痛い」と「(一緒に)居たい」の言葉遊びやラストのイツミの独白にもその一端を感じる。言葉通りで深い意味はないけど感情の勢いに任せたような台詞回し。
  • 終盤の怒涛の岡田麿里節は本当にニチャつきが止まらなかった。この世界が終わる最後の瞬間に政宗が考えてるのは私。とか,ラジオ流しながら乱雑な掛け合いしながら車爆走,とか。
個人的好きなシーン
  • 正宗母が時宗に告白されそうになるも制して「最後まで良い母親でいさせて」と話しながら結婚指輪が映るカットのエロティシズム。
  • 路チューシーン。歯が当たるSEエロすぎ。とらドラのキスシーンを思い出した。
  • 女子中学生をそう映したらアカンでしょとなるシーン。肝試し時にホームから線路に降りる睦実の太ももを視姦。ゲーセンに逃げ込んで暖房つけたあとの椅子に座ってる睦実をねっとりパンアップ。
映像面の雑感
  • 『さよ朝』までのPAとの蜜月から一変してMAPPAになったが、背景東地和生さんであってもやはり全体的な映像の印象はPAと違うなあと違和感あった。
  • 原画に井上俊之とかいるのかなあ、と思ったら居たし吉成曜も居た。一番オオッと思ったのは、序盤で時宗政宗の部屋にタバコ吸いに来て,窓を開けた後窓際に腰掛けるカットの服の皺と予備動作の芝居。誰だったんだろう。
音声面の雑感
  • 上田麗奈の演技が名人芸の域に極まっていた。特にほぼ情事みたいな駐車場の路チューシーン(感情の刹那的な昂りと衝動的な行動を強調するサイコーのロケーション)の演技は普通に勃起する。Vシネマ女優も顔負けの演技。人間国宝か。
  • キスシーン(と五実が目撃するシーン)は三人をキャラクターと全く同じ立ち位置に立たせて演技したとのこと(9/4先行上映会情報)。だとすると榎木淳弥羨ましすぎ。榎木淳弥の演技もここが一番良かったと思うが,生の演技のシナジーが確実にあったのだと思う。岡田麿里さんも脚本家冥利に尽きるとコメント。
  • 野生児のような状態からぼんやりとした恋慕を抱くまでに成長する役どころを演じる久野美咲も素晴らしかった。作中で成長していくキャラクターを演じることは何度もそのキャリアであっただろうが、存分に経験が発揮されていた。
  • 主題歌が流れるに至ってやっぱ中島みゆきではないんちゃうかな~~と思ったけど,岡田麿里さんがそれを望んだなら僕は受け入れるしかないのだ。